マティアス↓が案内してくれましたー。
おすすめの滝を見るため、schaffhausenへ。
雨上がりで水量が増して、迫力満点の滝。
行って良かった。
昭和8年に出来上がった公会堂は、まさに昭和のロマンを再現してくれます。建物は清水某という建築家ですが、そのモダンなデザインは、時代の先端を行っていました。
それが、当時では最高のモダンなデザインでした。重厚な内部構造は未だ健在で、訪ねる人に落ち着きを与えてくれます。YouTubeの動画でも、アップされています。
第二次大戦中のB29の爆撃にも奇跡的に難を免れ、戦後暫くの間は、ここの講堂を使って、クラブ紹介やガイダンスなどで、出向いたものでした。
そして、今回の阪神大震災にも、びくともしなかった建物です。
!doctype>質問101. プントの女王はDercum's diseaseだったそうですが、どんな病気ですか? (鈴木)
Dercum's diseaseはAdiposis Dolorasa(疼痛性脂肪過多症)のことで、贅沢な生活をしているうちに、身体に脂肪がつきすぎて、身体を動かすと痛みを伴う病気のようです。普通の肥満どころではないようです。きっと元大関の小錦さんのような女王がエジプトの遠征隊を出迎えてくれたのでしょうね。(西村)
質問102. クロールのような泳ぎをするヒエログリフがあるそうですが、どんなところに記されていますか? (伊藤)
クロールをしている人に見えるヒエログリフサインは第0王朝〜第2王朝に、特に第1王朝のデン王の時代の円筒印章や容器に見られます。年代は紀元前3,100年頃〜2,600年頃です。スケッチ程度ですが、Jochem Kahl, Frühägyptisches Wörterbuch, 2.Lieferung m-h, Wiesbaden, Otto Harrassowitz, 2003, pp.224-228に証拠が挙げられています。この辞書によれば、発音はnb(ネブ)、意味は「経済施設の一部門あるいは経済施設で働く人」です。この時代に円筒印章や容器に記されたヒエログリフサインは所有者や生産地、食料の管理施設などを表すために使われるので、クロールをしている人に見えるヒエログリフサインは実際には水泳とは何の関係もないと思われます。
ちなみに「泳ぐ」という意味の古代エジプト語はnbi(ネビー)で、こちらはAdolf Erman und Hermann Grapow ed., Wörterbuch der Ägyptischen Sprache, 2. Bde., Berlin, Akademie Verlag, 1982, S.236によれば、ピラミッド・テクスト以来使用例が見られるそうです。水を表す限定詞の前に横に倒れた人のサイン(A15)が使われています。残念ながら泳いでいる人のサインではありません。(西村)
質問103. 古代エジプトには映画「ハムナプトラ」に出てくるような鍵で開ける本があったのですか? (鈴木)
古代エジプトの書物はパピルスの巻物で、現在の本のように綴じられていませんでした。くるくるとパピルス紙を巻いて、紐で縛って、紐の結び目に粘土の塊を置き、印章で封印されていました。書物を読むときはその粘土の封印を取り除きます。だから本を開けるための鍵もありませんでした。(西村)
質問104. 古代エジプトには映画「ハムナプトラ」に出てくるようなスカラベに肉体を食べさせる処刑方法があったのですか? (鈴木)
ありません。古代エジプトの死刑については、質問46の回答をご覧下さい。しかし、『大英博物館双書1 古代エジプトを知る ミイラ解体』(学芸書林、1999年)、126-8頁によれば、古代エジプトのミイラはデルメステスという肉食性の甲虫によって荒らされていることが多いようです。デルメステスはスカラベ(聖甲虫)とは異なる種類の昆虫で、防腐処理をする前あるいはその最中に死肉に卵を産みつけ、包帯の下で孵化し、死肉を食べて、成虫となり、包帯の外に出ることなく、死んでいきます。ミイラを解剖すると、数十〜数百のデルメステスの死骸が発見されるそうです。映画「ハムナプトラ」ではこのような事実に基づいてストーリーが作られたのだと思います。(西村)
質問105. スコーピオン・キングは実在した人物ですか? それとも架空の人物ですか? (鈴木)
スコーピオン・キングと呼ばれる王は確かに実在しましたが、どのような業績のある王なのかはよくわかっていません。ヒエラコンポリスの神殿跡から出土した大型のメイスヘッド(棍棒頭)に白冠をかぶり、鋤を持って地面を掘ろうとしている王のレリーフがあり、その王のそばにサソリのヒエログリフがあることから、その王は便宜上スコーピオン・キング(2世)と呼ばれていますが、本当の名前は知られていません。年代的にはナルメル王の直前に位置づけられています。また、ナルメル王より100年ぐらい前にもスコーピオン・キングがいました。彼のアビュドスの墓(U-j墓)からは最古のヒエログリフが記されたラベルが多数発見されています。そして複数の土器に大きなサソリの描写があることから、彼も便宜上スコーピオン� �キング(1世)と呼ばれています。だから、映画「スコーピオン・キング」は実際にはこれらの二人の王たちとは何の関係もなく作られたストーリーと言えますね。スコーピオン・キングについては、「古代エジプトの歴史 2. ナカダ3期・第1王朝」のサソリ王の記述もご覧下さい。(西村)
質問106. ロゼッタ・ストーンに記されているヒエログリフは古代エジプト語のどの段階にあたるのですか? (嵐)
新・中期エジプト語です。新・中期エジプト語は新エジプト語がアマルナ時代に書き言葉に採用されてから、もっぱら公式記念碑文と宗教テクストに使用されるようになった古代エジプト語で、中期エジプト語の文法的要素を維持しながら、単語の綴りは時代とともに変化します。ロゼッタ・ストーンはプトレマイオス5世の治世9年に発布されたメンフィス勅令を記したものですが、ギリシア・ローマ時代にはヒエログリフ・サインの爆発的な増加が見られ、その数は750→5,000になりました。さらに当時のヒエログリフは神官たちの遊びと連想から生じた特殊な綴りで記されています。(西村)
質問107. 逆行書法はすべての宗教テクストで使われるのですか? なぜ宗教テクストでは逆行書法が使われているのですか? (速水)
『死者の書』『イミドゥアト』『門の書』はもちろん古王国のピラミッド・テクストやメンフィス神学を記したシャバカ・ストーン(第25王朝)も逆行書法で書かれます。おそらく世俗のテクストと容易に識別できるように逆行書法が使われたのだと思います。(西村)
質問108. Aa1のサインは何を象っているのですか? コインですか? (速水)
いえ、それはありえません。古代エジプト人はコインを知らなかったからです。古代エジプトが貨幣経済に移行するのはプトレマイオス王朝になってからです。末期王朝に外国人傭兵たちの間で、またナウクラティスで商業活動をすることを許されていたギリシア人たちの間で、フェニキアのシェケル、アケメネス朝ペルシアのダリク、ギリシアのドラクマなどのコインが流通しますが、それらは古代エジプト人には何の価値もありませんでした。Aa1のサインについては、何を象っているのか不明です。(西村)
質問109. ヒエログリフの縦書き・横書き、右向き・左向きには何か意味があるですか? (高橋)
古代エジプト人は碑文が記念碑のどこに彫られるか、どんな内容の碑文を記すのかによって縦書き・横書き、右向き・左向きを決めていました。例えば、オベリスクや柱、彫像の背柱など縦長の部分に彫るときは縦書き、軒縁や扉のまぐさ、建築物の基礎部分など横長の部分に彫るときは横書き、場面のタイトルは横書き、場面の中に登場する人物の名前やエピセット、言葉などは縦書き、石碑に彫られた戦勝報告や勅令などは横書き、宗教テクストは常に縦書きですね。文字の向きは通常は右向きですが、建築物に彫られるときは文字は建築物の中心を向いています。門や建築物の正面はシンメトリーに彫られます。ヒエログリフは、縦書き・横書き、右向き・左向きのいずれでも、美しく彫ることが出来る非常に優れた文字だ と言えますね。(西村)
質問110. ローマはなぜエジプトにまで影響を及ぼすことが出来たのですか? (絹田)
プトレマイオス朝は、フェニキア沿岸の東西交易の拠点をめぐって、たびたびセレウコス朝シリアと戦争をしていました。しかし、プトレマイオス5世がキプロス以外の海外の全領土を喪失し、ローマに援助を求めたことによって、ローマの干渉が始まりました。さらにプトレマイオス6世以降王家では兄弟姉妹の権力争いが激しく、ローマに内政干渉の絶好の口実を与えることになりました。ファラオ時代王が自分の姉妹や娘たちと結婚することは、王家の財産を分散させずに維持するのに役立ちましたが、プトレマイオス時代の王家の兄弟姉妹婚はまったく逆だったのですね。クレオパトラ7世の死後、エジプトがローマ帝国の属州となり、ローマの穀倉として徹底的に搾取されたことはご存知の通りです。(西村)
質問111. zbi n kA.fとはどういう意味ですか? (道下)
直訳すると「自らのカーの下へ行く」であり、古王国においてよく使われた「死ぬ」の慣用表現でした。カーとは何か? なぜこの表現が「死ぬ」を意味するのか? 人は生まれるとき、神からカーを与えられます。カーは「生気、活力」です。人が元気に活動出来るのはカーのおかげです。カーが弱ると、心身ともに疲れ、病気がちになります。カーが離れると、人は死にます。生前のように元気に活動するために、死者のバーはカーの下へ行きます。バーとカーが一つになると死者はアクと呼ばれる霊的存在になり、日中墓から現れて、神々のようにあちこちへ移動することが出来ます。ただし、夜にはバーはミイラにされた自分の遺体に戻ります。そして死後もカーが弱らないように食べ物が墓に供えられます。(西村)
質問112. 古代エジプト人はプントの人々と何語で話したのですか? (鈴木)
プントの位置は東スーダンかエチオピアのエリトリア地方と考えられています。現在これらの地域ではアフロ・アジア語族の中のエチオ・セム語あるいはクシ語が話されています。古代でもこれらの地域ではエチオ・セム語あるいはクシ語が話されていたと思いますが、果たして通訳がいたのかどうかが不明です。エジプトによるプント遠征は、古王国第5王朝のサフラー王、ジェドカーラー・イセシ王、第6王朝ペピ1世の治世の後、第18王朝ハトシェプスト女王の治世まで行われず、なんと約800年ぶりだったからです。しかも、ハトシェプスト女王のプント遠征は、女王の葬祭神殿に彫られた碑文の中にプントの女王が話した言葉が記されているにもかかわらず、沈黙交易、すなわち無言のまま物々交換をする方法だったと言� ��れています。プント遠征はラムセス3世の治世まで散発的に行われましたが、一体何語が話されたのかは不明です。(西村)
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