2012年4月28日土曜日

Book Reviews


 

カナダの多文化主義政策の動向

 

 

 

BOOK REVIEWEDAugie Fleras & Jean Leonard Elliot, Multiculturalism in Canada: The Challenge of Diversity, (Scarborough: Nelson Canada, 1992, xv+326pp.)

 

 

 

 

1.  多文化主義の研究

 

評者はカナダの憲法問題と先住民政策に関心をもつことから、多文化主義にも相当な関心を払ってきた。しかし、これについての評価や関心状況がかなり不均等であることに疑問をいだいてきた。まず、カナダの国内において、イギリス系カナダ人とフランス系カナダ人のあいだでは、理由は異なるにせよあまり高い関心や評価が与えられていなかったような印象を持っていた。評者の「類推」によれば、イギリス系カナダ人は、かれらがカナダを構成する有力な集団である点を認識しているので、わざわざ多文化主義や多民族性という事柄に強い関心を払う必要はあまりない。あくまでもかれらの優位性を確認すればよい。他方、フランス系カナダ人はカナダが少なくとも二言語・二文化という枠組みで維持される� ��とが望ましい。したがって、場合によっては、フランス系カナダ人をほかの移民と同じ位置におく可能性を持つ多文化主義の理念や政策を積極的に評価することはむつかしい。このため、1970年代の初頭に導入されたこの考えは、二つの有力集団からは、高い関心を払う対象ではなかった、と個人的に考えている。

反対に、多文化主義に関心を払い、それなりの評価をおこなってきたのは、イギリス系カナダ人とフランス系カナダ人以外の集団のように思われる。たとえば、西部のウクライナ系カナダ人が中心となり、多文化主義についての包括的な研究が1978年に刊行されている。さらにカナダを離れた外国では、多民族国家の望ましいモデルになり得るのではないか、という期待感も含め、多文化主義への関心が高いように考えられる。当然、日本においても、多文化主義に関する論文や著作、さらにはカナダ学会以外の専門学会で研究報告がなされるような状況になってきている。時には、カナダ国内よりもカナダ以外の国や地域で多文化主義が熱心に語られる、というようなこともあろう[1]


"彼らが選択するように人々は任せる"

ところで、イギリス系カナダ人が多文化主義にまったく無関心であった、というわけではない。これについて、多くの論文や研究がまとめられているのは間違いない。しかし、評者が強調したいのは、複数の担当者による論文を集めた論文集ではなく、本格的で体系的な研究がこれまであまりなかった事実である。おそらくこれは、イギリス系カナダ人の社会学者や人類学者が、多文化主義を学問的な研究対象として位置づけてこなかったためと思われる。ここで取り上げる『カナダの多文化主義』は、その意味でより本格的な研究が若手の研究者によりまとめられたものと言えよう。A・フレラスはウォータールー大学、J・E・エリオットはダルハウジー大学に所属する社会学者である。かれらの最近の研究とし� ��は、先住民政策の比較研究(カナダ、アメリカ、ニュージーランド)をまとめている[2]。またフレラス教授はニュージーランドの先住民であるマオリについての研究を精力的にまとめている。おそらく、かれらは、カナダだけではなく、他の多民族国家を検討したことで、より体系的な研究が可能になったのではないだろうか。この『カナダの多文化主義』は知的にも地理的にもカナダをこえることで、実はカナダ研究がより一層充実する、というひとつの模範的な事例と言えないだろうか。

もう一つ評者が多文化主義との関連で考えていることは、同じ多民族国家でありながら、アメリカとカナダでは状況が異なる点である。偶然手にしたほぼ同名の著作(J・D・ブェンカーとL・A・ラットナー編集、『アメリカにおける多文化主義』、1992年)では、多文化主義の理念や政策が述べられているわけではない。むしろ、アフリカ系アメリカ人、先住民、ドイツ系アメリカ人というように、個別の集団についての詳細な解説が主になっている[3]。多文化主義といいながら、二つの多民族国家においては、問題関心がかなり異なることがわかる。おそらくカナダの多文化主義についての検討をすすめること、さらに、国際比較の視点から、この理念や政策の是非を具体的に評価することも必要であろう。

 

 

2.構成と内容

 

『カナダにおける多文化主義』はまず概論的説明のあと、四部から構成されている。また、巻末には便利な多文化主義についての声明や資料などがのせられている。以下、目次を簡単に紹介しよう。

 

イントロダクション

第1部           多文化主義の次元

第1章           多文化主義:カナダ的生活の事実

第2章           「多様性の祝福」:イデオロギーとしての多文化主義

第3章           「多様性から統一を進めること」:

政策としての多文化主義

第4章           プロセスとしての多文化主義:「新しい資源として」

第2部           社会における多文化主義:言語的・文化的視点

第5章           多文化主義への態度と反応

第6章           壁を築き/橋を架ける:批判と挑戦


ロバートe.lee彼は戦争をarter何をしたんでした

第7章           カナダにおいて言語的多様性を維持する

第8章           視点をめぐる政治・多文化主義 対 二文化主義

第3部           「政策の主流にすること」:多文化主義の作動

第9章           多文化主義教育:文化的相違と学校教育

第10章 カナダにおける多文化主義的な警察業務

第11章 メディア、マイノリティーそして多文化主義

第4部           展望と成功の可能性

第12章 多文化主義と人種関係:国際比較の視点から――

オーストラリア、イギリス、アメリカ、そしてニュージーランド

第13章 将来の多文化主義:変容する現実と新しい方向

付録 (多文化主義に関する声明や資料)

参照文献

用語の定義

索引

 

    前にも述べたように、本書の大きな特徴は、多文化主義にかかわる様々なテーマを包括的にまとめてある点にある。また、単なる抽象論に止まらず、学校教育や警察業務、そしてメディアといった具体的な政策や問題領域についても検討している。

 

 

3.文化主義の定義

 

ところで、何よりも重要と思われるのは、多文化主義の定義であり、その中身である。まず最初に認識できることは、本書に限らず、多文化主義を「ひとつの概念で規定することは困難である」という合意であろう。言い換えれば、明確なひとつの定義ではなく、多文化主義を構成する「要素」を具体的に指摘する方が賢明なアプローチなのである。フレラスとエリオットも多文化主義にまつわる様々な誤解や理解、あるいは思い込みについてイントロダクションで述べている。評者も、依然として多文化主義を「誤解」している部分もあり、かれらのイントロダクションはおおいに役に立った[4]

さて、定義については、第1部で主に四つの要素が説明されている。最初はカナダの民族・人種構成が多元的である、という人口統計学的な特徴である。カナダの最近の人口調査は詳細なデータを見ることに主眼を置くためか、全体像がかえってわかりにくいこともある。たとえば、民族・人種的出自を聞くのに、二つ以上選択してもよいことから、データの質が精密になった分だけ、全体の構成がわかりにくい。しかし、フレラスとエリオットは、民族・人種構成を手際よくまとめて、表や図にしてあるので読者には都合が良い。


第二次世界大戦の原因は何でしたか?

第二の定義が民族・人種構成の特徴からもたらされる「多様性を祝福するというイデオロギー」である。もちろん、かれらはカナダがマイノリティーにとって、住みやすい天国だとか、アメリカが同化を強制する不都合な国だ、ということを述べているわけではない。むしろ、歴史的にみると、カナダの多様性をプラスのものと認識し、評価する傾向が出てきた点をかれらは強調する。さらに、カナダ政府がこの多様性の認識を高めるのに相当なリーダーシップを発揮している点も注目される。1988年に成立した「多文化主義法」もそうした政府の取組みの実例と言えよう。

第三の定義が政策としての多文化主義である。具体的にはカナダがかなり英国に従属するような特質(市民権の定義など)を持っていた時代から、イギリス系とフランス系の協調をうたう二言語・二文化政策への転換、さらに多文化主義をカナダの基調とする最近の政策などがまとめられている。第3章で特に興味深いのは、州レベルにおける多文化主義の展開である。トロントなどはとりわけ世界各地からの移民が多く、移民グループと行政当局の間での良好な関係を維持することがかなり重要になってきている。特定の地域に集中して住むことが多い移民グループにとって、警察との関係をどうするのかが日常的な課題でもある。第10章で、警察業務との関連で多文化主義を論じる、というのも考えてみれば必要なことと言えよう。

第四の定義は民族・人種により構成される集団間のダイナミズムである。あるいは多文化的な集団構成により、「新しい資源」が生まれることを意味する。たとえば、政権政党にとって、多文化主義を公式に掲げることで、マイノリティーや移民集団の票(政治的支持)を得ることができる。他方、マイノリティーや移民集団にとって、この政策により、一層高い社会的地位や資源をうることができる。集団間のこのダイナミズムが場合によっては、いままで存在しなかった資源を生み出すことになる。第四の定義にあたる集団間のダイナミズムは、多文化主義が導入されて約20年近くたち、政策の効果が具体的に現れるようになったためであろう。先住民の独自な権利が憲法に盛り込まれたり、多文化主義の政策的・政治的効果がでてくることで、カナダ社会が少しずつ変化しているように思われる。もちろん、これはミクロな変化であろうが、注目すべき変化と言えよう。

 

 

4.多文化主義への批判

 

    多文化主義への批判も指摘しないとフェアーではないだろう。第6章の内容を簡単に紹介しよう。フレラスとエリオットは主に四つの問題点をあげている。最初はこの多文化主義がカナダ社会を分断化し、全体としての統合を妨げる、という批判である。第二の批判は、この政策はあくまでも「文化的多様性」を強調するだけで、集団間の社会的、政治的、経済的格差を改善するにはいたっていない、というものである。かつてJ・ポーターは『垂直的モザイク』(1965年刊行)によって、民族・人種の集団間格差が「階級的な格差」にもつながっていることを、実証的な研究から発見した。かれの結論はカナダ社会で、公平さを実現するためには、民族的・人種的要素を強調することではなく、社会・経済的な格差を是正することであった。ポーターがかりに今も生きていたとすれば、多文化主義を厳しく批判するにちがいないだろう。第三の批判は多文化主義は表面的な飾りにすぎず、移民やマイノリティーは巧妙な形で主流派の文化や価値体系に組み込まれる、というものである。最後の批判は、多文化主義が政策としては、本来実現しにくいもの、と指摘する。それぞれ四つの批判は、それなりの説得力をもつとも言えよう。


 

 

5.最後に

 

    枚数の都合から、第2部から第4部までの内容をここでは、詳しく紹介することはできない。しかし、フレラスとエリオットは多文化主義という多岐にわたるテーマをバランス良く、かつ冷静な視点で分析していることは間違いない。本書はカナダに関心を寄せる読者に、是非一読をお勧めしたい研究成果といえよう。

    ところで、最近、大衆向けの一般書ではなく、イギリス系カナダの研究者が最近の傾向(カナダの多文化社会化現象、あるいは多元国家化現象)に対して、公然とかれらの意志を表明する作品を刊行するようにもなってきた。R・W・ビビーによる『モザイク的な狂気』(1990年)、J・L・グラナッツステインとK・マクノート編集による、『イギリス系カナダは主張する』(1991年)、R・ジャクソンとD・ジャクソンによる『カナダを擁護する』(1992年)などがその代表例である[5]。もちろん、これらは人種憎悪をちりばめたようなたぐいの作品ではない。しかし、優位にあったイギリス系カナダ人たちの意見にも耳を傾ける必要があろう。同じ多民族国家でありながら、カナダとユーゴススラビアが異なるのは、意見の対立が「銃弾」ではなく「ことば」で展開される点である。多文化主義を規定する五番目の「要素」として、平和的な解決をのぞむ「高い政治文化の質」をあげてもよさそうである[6]



* 加藤普章:大東文化大学法学部助教授

 Hiroaki Kato: Associate Professor of Political Science, Daito Bunka University, Tokyo

[1] 日本では次のような研究がまとめられている。関口礼子編、『カナダ多文化主義教育に関する学際的研究』、東洋館出版社、1988年。深井耀子、『多文化社会の図書館サービス』、青木書店、1992年。綾部恒雄編、『カナダ民族文化の研究』、刀水書房、1988年。田村知子、「多文化社会におけるアイデンティティと統合」、梶田孝道編、『国際社会学』、名古屋大学出版会、1992年、pp. 220-240. 加藤普章、「カナダにおける多文化主義政策の展開」後藤政子・油井大三郎編、『統合と自立』(講座 南北アメリカの500年、第5巻)、青木書店、近刊予定。梶田孝道、「多文化主義のジレンマ─選択肢は何か」、『世界』、1992年9月号、pp. 48-65

[2] A. Fleras & J. L. Elliott, The Nations Within: Aboriginal-State Relations in Canada, the United States, and New Zealand (Toronto: Oxford University Press, 1992).

[3] J. D. Buenker & L. A. Ratner, eds., Multiculturalism in the United States: A Comparative Guide to Acculturation and Ethnicity (Westport: Greenwood Press, 1992).


[4] ほかにも次の文献が良い。P. S. Li, ed., Race and Ethnic Relations in Canada (Toronto: Oxford University Press, 1990).

[5] R. W. Bibby, Mosaic Madness: The Poverty and Potential of Life in Canada (Toronto: Stoddart, 1990); J. L. Granatstein and K. McNaught, eds., English Canada Speaks Out (Toronto: Doubleday, 1991); R. J. Jackson & D. Jackson, Stand Up for Canada: Leadership and the Canadian Political Crisis (Scarborough: Prentice-Hall, 1992).

[6] 政治文化の研究については、次を参照。D. V. J. Bell, The Roots of Disunity: A Study of Canadian Political Culture (Toronto: Oxford University Press, 1992).



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