失われたベトナム戦争の教訓(Vietnam's lost lessons)
ほとんどの米国の高校歴史課程は30年前の戦争について未だ教えていない
by マイケル・A・フーコ:ピッツバーグ・ポスト・ガゼット紙2005/04/29付け記事
悲惨な紛争の結末を告げるイメージとして、サイゴンのアメリカ大使館の屋根からアメリカ人や南ベトナム人たちがヘリコプターで脱出する際に見せた恐怖と混乱ほど、戦争論議にふさわしいものはないだろう。
最後の脱出者が海外に出て4時間後、南ベトナム政府はベトコン(ベトナム共産勢力)に対する無条件降伏宣言をした。長い間多大な犠牲を生んできた戦争は終わった。
その終戦から明日(4月30日)で30年目を迎えるが、戦争における不名誉な結末について、大規模な追悼が行われないのは無理もないだろう。
理解し難いのは、教育関係者の多くが言うように、アメリカ合衆国の政策、社会、文化に深刻な影響を与えたあの戦争の教訓について、なぜ充分に米国の学校で検証されないのだろうということである。
そして、ベトナムにおける犠牲者や、成功と失敗に関する知識不足が、アメリカの若者を駄目にしているのではないか。
スティーブ・ジャクソンもそれを恐れている。
ペンシルバニア州のインディアナ大学で政治学教授を務めるジャクソン氏の説明によると、彼が開講しているアメリカ政治学入門コースに籍を置く学生のほとんどが、ベトナム戦争とその教訓について全く知らないという。イラクへの介入が続く現在は特に、ジャクソン教授はそうした無知を問題視している。
シリアは、貿易の中心となっている。
「高校の世界史の課程において、先生達は第二次大戦までは話すが、そこで学年は終わってしまうことがしばしばです」教授は言う。「あいにくのところ、高校の教育課程では、教育委員会が要求するとおり、授業の明確性が重視されますので、微妙な立場については求められないのです。善悪だけが求められるわけで、第二次大戦の物語などは好都合でしょう」
「ベトナム戦争については、教えるとしたらとても複雑な問題なので、高校教師はそれを敬遠する傾向にあるのです」
教授はそれを、全く残念な事態であると話す。なぜなら、生徒達は「同時代への適応性を欠きつつあります。それは物事を批判的な目で見る能力であり、アメリカが戦争で負けることもあると知ることは重要です」
「多くの点で、91年の湾岸戦争や、コソボ紛争への介入などは、第二次大戦の感覚そのものでした」教授は言う。
「疑問が呈されるべきです。最高権威など存在しないし、我が国は全知全能ではないのです」
ジャクソン教授は、自分の講義を通して、ベトナム戦争に関する知識がほとんどない生徒達が、その紛争内容や、それに関わる微妙な立場について興味を持つようになったことを学んだ。
ウェスト・バージニア大学でジャーナリズムを教えているジョージ・エスパーも、同じ体験をしている。彼は元AP通信記者で、ベトナム戦争の報道を行った人物である。
講義の大半は、第一次大戦以降の戦争報道に関するものだが、エスパー氏によると、生徒の興味を最も惹いているのは、ベトナム戦争であり、生徒達はその予備知識がほとんどなかったという。
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講義では、口頭でのプレゼンテーションのトピックは自由に選択できるが、生徒のほとんどはベトナム戦争を課題に選択するという。
「彼等は戦争報道に深い興味を持っています。彼等にとってベトナム戦争は新鮮な話題なのです。ベトナムについて取り上げれば、多大な興味を惹くことができます。生徒はベトナム戦争に最も興味があるのです」エスパー氏は説明する。
エスパー氏は最後までベトナムに留まった報道記者の1人で、大量脱出後5週間経過してから脱出している。
エスパー氏は講義の際、かつての報道記者仲間であるピーター・アーネット、デビッド・ハルバースタム、「ワンス・アンド・フォーエバー(We Were Soldiers Once and Young.)」の著者ハロルド・G・ムーア等を招いている。
「私が教えているのは、ベトナム戦争は戦争報道史上最もオープンなものであり、情熱とスタミナ、勇気があれば何処でも取材に行けたというものです」
「ベトナム戦争報道が成功した理由は、事実とそのアクセスであり、私達が政府に説明責任を求める報道記者の第一世代であったということです。今では大きく様変わりし、(報道界は)別方向に向かっていますが」エスパー氏は言う。
現在、エスパー氏は他の報道記者と再度集まるためにベトナムに居る。彼はまた、ウェスト・バージニア大学ジャーナリズム学部代表として、ベトナムとパートナーシップを組んで報道訓練プログラム開発に取り組んでいる。
誰がバスク語を話す?
教育、経済、文化面で合衆国とベトナムが連携しつつある今日、ベトナム戦争は「どの戦争よりも多くの苦悩と記憶を残し、30年経過しても歴史に醜悪なページを留めているので、多くの人々はそれを忘れることを選択している」とエスパー氏は語る。
そして、エスパー氏は、そうした選択を間違いだと指摘する。
ピッツバーグ公立学校地区市民教育課程担当官のレイ・マックレーンが言うような、ベトナムの教訓を生徒に教えることは不可欠という意見には、エスパー氏も議論の余地はないという。
ピッツバーグで20世紀歴史課程を学ぶ年少者は、ジャクソンやエスパーの提唱するような、ベトナム戦争や他の過去100年間に起きた重要事件について分析的な教育を受け始めている。
「ベトナム戦争は痛ましく悲しい事件であり、私達はそこから学ぶべきことがあります」42年間教育界に携わるマックレーンは言う。「絨毯の下に隠すような真似をしてはいけません。成功と失敗について文字通り考えるべきです。傷と汚れの違いや、情熱と財政のトレードオフなど、私達はベトナムから学ぼうとしているのです」
「私達は、生徒達に、当時の人々の身になって、その頃の認識について考えさせようとしています。そうした方法は生徒達が経験できるもっとも大切な歴史的手法なのです」
さらに、マックレーンによれば、教師たちは生徒の興味を惹くための基礎情報源として、ベトナム退役軍人達の協力を得て、授業で体験を語らせたり、従軍日記について議論をしているという。
「自分達と何ら違いのない実在した人々についての授業です」彼は言う。「時間をかける価値ある仕事ですよ」
他にも、時間をかける価値ある仕事はある。明日(4/30)、ベトナム退役軍人アメリカ基金(Vietnam Veterans of America Foundation)はオンラインで戦争記録を公開し、兵士個人や、家族、友人等、戦争に関わり影響を受けた人々の個人的な体験を配信する。
そして、スミソニアン歴史博物館は、新たに恒久展示として「自由の代償:アメリカ人と戦争(The Price of Freedom: Americans at War)」を開始するが、それは今月初旬に全米44州から700人が出席してピッツバーグ・ヒルトンで開催された全国歴史教育協議会のセミナーによって提起されたものである。
ベトナム戦争の展示では、実際のイメージと言葉を伝える当時のニュース映像で、紛争から分裂していくアメリカを伝えている。
また、ベトナム戦争の展示には、戦場から戦傷者を運んだヒューイ・ヘリコプターも含まれている。
30年前に、アメリカ人達を乗せ、乗客超過になりながら街を脱出したそのヒューイ・ヘリコプターは、決して忘れてはならないあの戦争から、ようやくそこにたどり着いたのであった。
(以上)
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